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  • SKYWARD 2018年11月号

松山恭助 自らの殻を破るために

文/中島亮 撮影/築田純

〝ポスト太田〞の最有力選手である。太田とは、もちろん2008年北京五輪において、日本フェンシング史上初となるメダルを獲得した太田雄貴氏のこと。松山選手が16年の全日本選手権で優勝すると、ますます東京五輪へ向けて周囲の期待は高まった。

だが今、本人が感じているのは強い焦りだ。「僕はまだ世界大会の個人戦で優勝したことがない。トップ選手との対戦になると、最後の最後で競り負けてしまうことが多いんです。世界トップを経験しないまま東京五輪に臨むのは、できれば避けたいですね。ただ、それほど実力差があるとは感じない。会心の試合でなくてもいい。どんな形であれ、一度世界大会で優勝できれば、自分のなかで何かが覚醒する予感はあるんです」

必要なのはきっかけ。ある勝利を境にアスリートが大化けすることはよくある。今の松山選手は、卵のなかで殻を突き、孵ふ化かの時を待っている状態なのかもしれない。

「善戦してのベスト8とか、中途半端な結果はいらない。僕は東京五輪で絶対に金メダルが欲しいんです」初出場となる五輪で最高の結果を求める理由の一つはリベンジだ。サポートメンバーとして帯同したリオデジャネイロ五輪では、練習パートナーを務めた太田氏が敗北する姿を目の前で見た。我がことのように感じた悔しさは、今も忘れていない。

「太田さんの仇は必ず東京で討ってみせる」侍の心を持つ剣士は自ら殻を破り、東京で鮮やかな剣さばきを見せてくれるはずだ。

松山恭助(まつやま きょうすけ)1996年、東京都生まれ。4歳の時に地元のスポーツクラブでフェンシングを始める。東亜学園高等学校在学中には、インターハイ男子個人フルーレの部を三連覇。早稲田大学に進学後は、2016年に世界ジュニア選手権大会フルーレ団体で金メダル、フルーレ個人でも銅メダルを獲得。同年の全日本選手権フルーレ個人で優勝し、名実共に日本のトップ選手となった。

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