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  • SKYWARD 2018年10月号

羽賀理之 車いすでも、無茶していい

文/吉原徹 撮影/築田純

その競技との出合いは、当時の羽賀理之選手にとって強烈な体験だった。

「18歳の時に事故で頸髄を損傷し、入院生活やリハビリの日々を送るなかで、『これからの人生、大人しく生きていくんだろうな』って思うようになっていたんです。でも、20歳で初めて観たウィルチェアーラグビーは驚くほど激しいスポーツでした。車いす同士がガンガンぶつかるし、選手たちは転んでも何食わぬ顔でプレーを続ける。その光景を見て『あぁ、車いすでも無茶していいんだ』って思えたんです」

金属がぶつかり合う音と、闘志をき出しにする選手たち。ウィルチェアーラグビーの「ノーブレーキ感」に魅了された羽賀選手は、その後、アスリートとしての階段を一歩一歩上っていく。2009年にはニュージーランドへのスポーツ留学を経験し、’16年のリオ・パラリンピックでは日本チームの銅メダル獲得に貢献。そして、’18年8月に行われた世界選手権には副キャプテンとして参加。パラリンピック二連覇中の王者オーストラリアを一点差で破り、初めて世界の頂点に上り詰めた。

「東京パラリンピックの前に世界一になれたことは、チームにとって大きな財産。どこまでやれば世界一になれるのかが、見えたわけですから。日本の強みは、緻密な戦術とハードワーク、そして熱いハートです。もちろん東京でも金メダル以外は考えていません」

車いすでも、無茶していい││。原点ともいえるその情熱を胸に、羽賀選手は真っ直ぐ前を見つめている。

羽賀理之(はが まさゆき)1984 年、千葉県生まれ。幼い頃から野球を続け、中学時代にはリトルシニア全国大会にも出場。高校卒業後の専門学校在学中に、事故により頸髄を損傷する。20 歳でウィルチェアーラグビーを始め、2012 年のロンドン・パラリンピックでは最終選考で代表入りから外れるも、’16年のリオ・パラリンピックに出場し、銅メダル獲得。’18 年の世界選手権ではチームを日本史上初の優勝に導く。

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