MENU

【安倍元首相国葬】菅義偉前首相の弔辞全文!愛溢れる内容に昭恵夫人も涙!

2022年9月27日14:00より、安倍晋三元首相の国葬が東京の日本武道館で行われ、友人代表として弔事を述べられた菅義偉前首相。

その内容は多くの人を惹き付け、感動して涙される方も多くいたようです。

はたして、どのような内容だったのでしょうか。

全文をご紹介するのと同時に、世間の声をまとめてみました。

目次

菅義偉前首相の弔事全文

あれからも朝は来て、日は暮れていきます。

やかましかった蝉は、いつの間にか鳴りをひそめ、赤い空には秋の雲がなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。

 

あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情でも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。悔しくてなりません。

悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。

 

しかし、安倍総理とお呼びしますが、ご覧になりますか。ここ武道館の周りには花を捧げよう、国葬儀に立ち会おうと、沢山の人が集まっておられています。

20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢あなたを慕い、あなたを見送りにきています。

総理、あなたは「今日よりも明日のほうが良くなる日本を作りたい」「若い人たちに希望を持たせたい」という強い信念を持ち、毎日まいにち、国民に語りかけておられた。

そして、「日本よ、日本人よ。世界の真ん中で咲き誇れ」これがあなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと、今あなたを惜しむ若い人たちがこんなにも沢山いるということは、歩みを共にしたものとして、これ以上に嬉しいことはありません。

報われた思いであります。

 

平成12年、日本政府は北朝鮮に米を送ろうとしておりました。

私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきではない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。

すると記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい。」と、そういうお話でした。

 信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。

 その真っ直ぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感したしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならなければならない人なのだと確信をしたのであります。

私が、障害誇りとするのは、この確信において、一度として揺るがなかったことであります。

 

総理、あなたは一度持病が悪くなって、総理の座を退きました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。

最後には二人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。

それが使命だと思ったからです。

3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。

私はこのことを菅 義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出うであろうと思います。

 

総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でもふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざと蘇ってまいります。

 

TPP交渉に入るのを私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早い方がいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。

総理、あなたの判断はいつも正しかった。

 

安倍総理、日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーを頂いたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案をすべて成立させることができました。

どの一つを欠いても、我が国の安全は確固たるものにならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、ことしえの感謝を捧げるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつも周りの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月、私は本当に幸せでした。

私だけでなくすべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。

何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは我が国日本にとっての真のリーダーでした。

 

衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が一冊ありました。

岡義武 著「山県有朋」です。

ここまで読んだ、という最後のページは端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。

印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友「伊藤博文」に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いまこの歌くらい私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

「かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

「かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。

どうか安らかにお休みください。

 

令和4年9月27日 前内閣総理大臣 友人代表 菅 義偉 

菅さんの悔しさや悲しみが強く伝わってくる弔事でした。

そして心に残ったのは

「かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

菅さんの今の気持ちそのものだと思います。

友人でもあり、盟友でもでもあった安倍元首相との2ショット。

二人とも良い顔をされていますね。

仲睦まじい姿を見ると、余計に涙が溢れそうになります。

岡義武 著 「山県有朋」とは

幕末の尊攘派志士、日本陸軍の建設者・大御所として、また総理大臣・元老として政界に君臨した山県の姿こそ、戦前における天皇制的な「政治的人間」の一典型である。「閥族・官僚・軍国主義の権化」として憎まれ、怖れられたこの軍人政治家の生涯の照し出す日本近代史の過程と構造は。現代政治の課題に今なお深くつながるものである。

引用:岩波書店
著者略歴

岡 義武(おかよしたけ)
 1902―90年
 1926年東京大学法学部卒業
 専攻―政治史
 著書―『現代日本の政治過程』(編著)
    『近衛文麿』(岩波新書)
    『近代日本の政治家』
    『岡義武著作集』

世間の声

「かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」 菅さんにしか読めない弔辞でした。

菅さんの弔辞、あえて『総理』とずっと呼んでて涙が止まらなかった。 菅さんの中ではいつまでもついて行くと決めた上司なんだろうな。

この弔辞はこの国葬の意義を高めた名言として、後世まで語り継がれるだろう。 菅さん、ありがとうございました。

菅さんの弔辞で涙腺崩壊した。 あれはこの世で菅さんにしか書けない、友人安倍さんに宛てたお手紙。 昭恵さんもずっと気丈に振る舞ってたけどついに泣いてしまってた。 皆泣くわ、あんなん。

菅さんの弔辞 恋人に送る言葉の様に優しくて、美しい。 弔辞というより最後に送る恋文ですね。

菅さんってこんな熱量のある人だったんだな 友人代表としてある意味恋文に近いもののような素晴らしい弔辞だった

菅さんの友人代表弔辞スピーチに涙が溢れてきました。 国葬反対と言っている人も居るが日本を背負ってくれた方への感謝は人として忘れてはいけないと思う。

愛溢れる内容に昭恵夫人も涙!

菅義偉前首相の弔事が始まり、直ぐに昭恵夫人が涙を拭う姿が。

言葉は伝わるのですね。

気持ちがこもっていて、胸を打たれた方は多いのではないでしょうか。

SNSでは「もらい泣きした」との声も多く上がっていました。

まとめ

賛否両論ある中で行われた安倍元首相の国葬儀。

意見が分かれると思いますが、今日だけは安倍元首相のご冥福をお祈りしていただければと思います。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次